Insane Asylum(Tower Records)
キャシー・マクドナルド
親のレコード棚にあった。C&Wやカントリー・ロックを好み、エルビス・プレスリー以外に湿った音楽を進んで聴かない彼らとしては、意外なチョイスだ。
「なんでこんなのあるのよ」と母親に聞くと、
「なんだったっけなあ……むかし五木寛之がエッセイで絶賛していたのを読んで買ったような……」
ちなみに母親は昭和20年生まれ、父親は昭和16年生まれ。サブカルチャー面でのバックグラウンドを覗くと、次のような感じになる:矢崎泰久、和田誠のエディトリアル・デザイン、山藤章二のイラスト、谷川俊太郎と井上ひさしの日本語、永六輔や小沢昭一の話芸、立川談志と桂枝雀、デビュー当時のタモリ、赤塚不二夫の漫画。日本の音楽は全く受け付けない。あいだに結婚や子育てその他の実生活の諸事情があったために、抜け落ちているものもある。たとえば、ビートルズ--ジョン・レノンが亡くなってから再認識した。あるいはエルビス・プレスリー--軍隊入隊前と「イン・ラスベガス」には馴染んでいるが、その間のたとえば「68カムバック・スペシャル」は知らない。たとえば、今の若い人が或るアーティストの歩みをたどっていくときに、かなりマニアにならないとたどりつけないところを彼らは前提の教養として持っている。その一方で、しかし現在のマニアであれば最初に知っているだろう初歩的な知識が欠落していたりして、それが往年の日本の海外文化の紹介のされ方を彷彿とさせて興味深い。ま、とにかくそういう人たちである。で、60~70年代の五木寛之はアイドル。この世代としては、それほど珍しくはない。彼が言及したので、興味を持って買ってみたものは多い(ただし、彼らより少し下、いわゆる団塊の世代とは違って、五木寛之の資質のうち、アングラ的な情念に動かされた形跡はない。また、日本独自のユースカルチャーがまだなかった時代に思春期を過ごしたせいだろうか、音楽や演劇や映画などの分野では、日本製のものを完全に見下しているところがある。黒澤明に対してもそうなのだ)。
閑話休題。まずバックアップ・メンバーが脱力もののゴージャスさだ。ニール・ショーン(ギター)、ニルス・ロフグレン(ギター)、ロニー・モントローズ(ギター)、ピート・シアーズ(キーボード/ベース)、タワー・オブ・パワーのホーン・セクションというメンツである。おまけに、ニール・ヤングが彼女のために「Down to the Wire」を書き下ろしている。スライ・ストーンが歌のお相伴を務めている。ポインター・シスターズが唱和している。パパ・ジョン・クリーチがフィドルをこすっている。
もちろんキャシー・マクドナルド自身も負けてはいない。どころか、このメンツをそろえながら、アルバムを聞き終わって一番印象に残るのは、彼女の歌だ。
どれも端正で力強いスワンプ・ロック/ブルーズ・ロックだが、最後の曲「精神病棟(Insane Asylum)」だけは異彩を放っている(70年代初頭の五木寛之が言及したのもこの歌ではないか)。スライ・ストーンとのデュエットである。元歌はウィリー・ディクソンのブルーズ。精神科に通っている男と、そこで偶然出会った昔の女との対話という形式をとっている。
スライがドスの利いた鼻声でふらふらと歌い出し、しばらくしてタワー・オブ・パワーらしからぬラフで猥雑なホーン・リフが切れ込んでくる。一瞬無音になった直後、キャシー・マクドナルドの吠え声が響き渡る。
スライの融通無碍な歌い方と対照的なソリッドさである。リズムが正確で、声の立ち上がりから音がぶれない。常に比較されてきた先達ジャニス・ジョプリンよりも優れている点だと思う。
ところで、スライ。彼女の後ろで、ファルセットのシャウトを長々と入れたり、例のごとく「いえっしゃあ、いえっしゃあ」と呟いたりする。だけでなく、この曲全般に渡って、打ちのめされた情けない男の役を力強く演じ、曲の雰囲気をいい感じに煮崩している(キャシー・マクドナルドだけだったら、スタイリッシュにまとめすぎてしまうだろう)。この頃の彼の健康状態はどうだったのだろうか。前年(1973)の彼自身のアルバム「In Time」では「コカインやめた。いまは身体すっきり」と宣言しており、この年は「Small Talk」などの佳作を発表している。かなり好調と見るべきか。それくらい充実したパフォーマンスだと思う。
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