拾ったスズメのリハビリテーションを行う。小山田緑地および大地沢青少年センターにて。
こんな↓風に高いところから放したりしたわけだが
へなへなと飛んで、着地するのはこんな↓ところ。
あるいはこんな↓ところ。
(拡大図。リラックスしとります)
で、こんな↓風に水べりで息子(7歳、自閉症児)や娘(5歳)とたわむれたり、地面の虫などをついばんだりしている。
だが夕方、雀はとつぜん娘の手から飛び立ち、そのまますごい速度で近くの木立の中に飛び込んでいった。その直前に、羽虫の群れに首をかしげながらはげしく反応していたので、たぶん目の前を通った1匹を追っていったのだろうかと思う。
そのまま夕暮れが近付いても帰ってこなかった。
息子は激しく動揺して、パニック状態。エイドリアンを呼ぶロッキーのように、「スズメぇぇぇぇ」「スズメぇぇぇぇ」と叫んでいる。
一方で、今までの可愛がり方からすれば意外なほど娘は恬淡としている。「いーのいーのこれでいーの」である。
その後じわじわと判明したのだが、実は最も打撃を受けたのは妻(36歳)と僕(36歳)だった。子どもたちが寝た後、しばしば夫婦喧嘩になだれこむ時間帯、寝室で枕を並べ、天井を見ながらしんみりと語り合うのは雀のことである。あるいは、雀は元気だろうか、あのような未熟な飛び方で大丈夫なのだろうか、などと食卓でこぼしあっている。自分たちがこんなに可愛らしい人間だとは知らなかった。
娘はもちろん、息子も翌日には落ち着きを取り戻し、僕や妻を涼しい目で見つめて、「スズメ、バイバイ」と言う。僕らが「スズメ、バイバイ」とレスポンスすると、満足して背を向ける。
杉浦日向子によれば、江戸の人々は、雀の体色を基本としていたと言う。つまり、茶、白、黒である。家屋の色も服装の色もそれにならった。とある成金が邸宅に金色を使ったところ、近隣からすごい苦情が来て止めたという話がある。江戸については、その手の文化的な洗練の話しか耳に入ってこないのだが、もし江戸が本当にそういう都市だったとしたら、単純にすごいなあと思う。ああいう地味なデザインが積極的に支持される町というのは、かなり居心地が良さそうだ。
今回の件で興味を持ってつらつら見ていたのだが、雀に限らず小鳥というのはどれも魅力的な姿形、性質をしている。隠居したときのアイテムとして、「竹籠に入れた文鳥や目白や鶯」というのはぜひ加えておきたい(ただし、野生の和鳥を捕獲および飼育することは法律で禁止されている。雀も実はそうだ。例外的に認められるのは、今回のように緊急保護した場合のみで、その場合でも飼育を続けるためには都に許可を貰わなければならないらしい。また、鳥の愛好家の中には、「落ちた幼鳥を拾うな」と言う人もいる。親鳥がそばにいるかもしれないし、そうでない場合でも、自然に任せろ、人間が介入するな、というわけである。そうかなるほど)。
あ、そうそう、ものすごいローカルなお知らせですが、大地沢青少年センターの野外炊事場で料理しているときに、なれなれしく近寄ってくる雀がもしいたら、適当に追っ払ってください。サイズ的にはカラスほど邪魔ではないですが、同じくらい図々しいです。
おーっと。
まさしく一番上の写真のキャビンに一泊して、
今帰って来たとこです。(^^;
子ども10人連れてくのは疲れますだ。。。
Posted by: 虹父 | 2004.07.31 at 03:29 PM
お疲れさまでした。大人の仕事をしながら、小学生ペースの夏休みを過ごすわけですもんね。
Posted by: ふくだ夫 | 2004.08.01 at 10:05 AM
すっかりなついてしまった雀が、野生に戻った瞬間ですね。子供たちも生身の生き物との出会いとふれあい、そして別れを経験できてすこし成長したかな?それにしてもふくだ娘は合理的な思考の持ち主ですね。いつかは別れるときが来るということがちゃんとわかってたのかな?誰に似たんだろう...
一羽の雀が夫婦関係にもたらしたほのぼのとした感覚はなんとなくわかります。夫婦間の会話が子供の話題しかないという話をよく聞くけれど、今回は傷ついた雀が夫婦関係にいいスパイスとなったようですね。だから、家族にペットという発想が生まれてくるのかな?
Posted by: イワトフ | 2004.08.12 at 12:38 PM
>いつかは別れるときが来るということがちゃんとわかってたのかな?
娘には、ほぼ毎日「この鳥は飼えないよ」と言っていました。
ところで、小鳥の巣立ちというのは、おおむねかなり唐突なもののようで、そう考えれば、今回の「え?これでお別れ?」的なあっけなさも納得できます。僕らとしては、もう少し「ラスカル」的な余韻を予想していたんだけど、そもそもがそういう生き物ではないんだね。
Posted by: ふくだ夫 | 2004.08.17 at 12:34 PM